インドネシアを世界一周の最後に訪れる国に選んだのには理由があります。
それは会いたい人がいたから。
ずっと再会したいと思っていたし、旅に区切りをつける上で絶対に会わなければならない気がしていた人物です。
実はインドネシアは、大学を休学しオーストラリアでワーキングホリデーをした後に、パースからバリ島に飛んでそのままジャワ島をジャカルタまで横断した経験があります。
その際に僕は忘れられない経験をしました。
昔の旅の話
当時初めてインドネシアに来た僕は、バリ島で刺激を求めていた。
オーストラリアで刺激的な毎日を送っていて日本に帰国する前に東南アジアを旅しようと決めた。それでバリに来たけど、何か違う。
周りはカップルばかりだし観光地化されたバリは当時の僕にとっては刺激が無く色が無い世界のように感じていた。
このときの僕は、1年間ワーキングホリデーをしたといっても今ほど旅の経験があるわけではなく、勢いで突き進むタイプ。(今もそんな変わってないかも?笑)
そんな時に、バリの宿で1枚の写真を見た。
それはジャワ島の東にある「イジェン」と呼ばれる場所の写真。
見た写真はエメラルドブルーの美しい青色の湖が火口に溜まっているものだった。さらに、その場所では「ブルーファイア」と呼ばれる青い色の炎が見れるらしい。
☝︎今回の旅で見たイジェン火口湖
周囲の人に聞いたら実際に行ったことのある人はいなかった。
直感的にすごくワクワクした。
絶対に自分の目でこの景色を見たいと思った。
「イジェン」の存在を知った翌日、ホテルをチェックアウトして早朝からジャワ島を目指した。
バリの中心地からジャワ島に渡るフェリー乗り場まで4時間くらい。そこからフェリーでジャワ島に渡って、バニュワンギというところからバスに乗った。
しかし、実は勢いで行ってみたものの僕は「イジェン」への行き方は詳しく知らない。
Googleマップで地図を拡大してみたら目的地に線が繋がってたのでバスに乗ればそのうち着くと思った。
今と違って当時はSIMカードを現地で買うこともしてなかったから、地図はiPhoneでGoogleマップをスクリーンショットしただけ。他には何もない。
バスに乗るまではすごく順調で時間はまだ昼過ぎ。
距離から考えるとその日中に「イジェン」の麓の町まで行けそうで、そこまで行けば宿も数軒あると聞いていた。
しかし、実はこの地域は観光地でもなければすごく田舎の地域なので、バスがとてつもなく遅い。
おんぼろでスピードが出ない上に、乗客がパンパンに乗っていて車体も重い。そしてみんな好きなところでバスを停めて乗り降りするもんだから全然進まない。冗談抜きに歩いたほうが早いんじゃないかというスピード。現在地もわからず不安で周りの人に聞くも、誰も英語は全く通じない。
不安なままバスに乗っていると辺りは日が落ちて暗くなってきた。
ジェスチャーで周りの人と会話した感じ、目的地には向かっているようなので自分に大丈夫と言い聞かせてバックパックを抱き締める。
おんぼろバスはノロノロと進み続け、辺りは完全に真っ暗になった。
そして、バスは停まってしまった。
どう考えても目的地ではなくて周囲に何にもないところに。
周りには当然コンビニもなければ宿なんてない。
あるのは小さな食堂くらい。
どうしよう?どうしよう?どこに泊まって夜越そう?と焦ってバスから降りて周りの人に話しかけると、ひとり、たどたどしいけど英語の話せる少年がいた。
当時17歳のヨフリーくん。
困っている僕を見かねて実家に連れていってくれると言ってくれた。
実家へは、バス停に停めていた原付で行くらしい。
「これ、乗って大丈夫か?」困っている状況といえ、もし彼が悪い人だったら身ぐるみ剥がされるんじゃないだろうか?と疑いの気持ちが頭をよぎる。
少し怖いけど僕に選択肢は無かったのでバイクの後ろに座って彼の実家のある村へ連れていってもらった。
家に着くまでに数軒の家の前を通ったけど、みんな僕をすごく不思議そうな目で見ていた。それもそのはず僕はこの村に来た外国人第一号だったらしい。(本当かな?笑)
家に着くとお母さんが出てきて、彼が事情を話して、居間に通してもらえた。
なんとか今日はここに泊めてもらえそうでホッとする。そうしていると、お母さんが温かいスープやご飯を持ってきてくれた。
昼ごはんも食べれていなかったので本当に美味しくて少し泣きそうになった。
家は見る感じ裕福そうではなくて、家にベッドは一台しかないみたいだったけど、そのベッドで寝ていたおじいさんが客はここで寝ろとベッドを譲ってくれた。悪いので断ろうとしたが断りきれなかった。
部屋に荷物を置いてからは、近所の家をヨフリーと一緒に挨拶して周った。
日本からの不思議な旅人をみんなすごく良くもてなしてくれた。
挨拶回りが終わって、すごく疲れていたので倒れるように寝てしまった。
翌朝、朝早く目が覚めた。
まだ時間は朝の5時前。
しかし、みんながいない。
「???」となっているとヨフリーがやって来て、家の裏の川を渡って畑に連れて行かれた。
みんな日が昇る前から畑に出て働いていた。
みんな農家だったんだ。
畑から見るサンライズはすごく美しくて忘れられない。
朝日が昇って家に戻って朝ごはんを頂いた。
食べるとトイレに行きたくなって、トイレの場所を尋ねる。気づけば家に来てからトイレに行っていなかった。緊張していたのかもしれない。
そして、ヨフリーから返って来た答えにびっくりした。
この家にはトイレはないらしい。
近くの用水路で用を足すそうだ。
僕も用水路でいいと言ったが、せっかくのお客さんだからと村で唯一トイレがあるという近くの家に連れていかれてそこでトイレを借りた。みんな本当に優しい。
朝ごはんもトイレも済み、僕は「イジェン」に向かって出発することを告げた。
昨日の遅かったバスを考えると朝から出発しないといけない。
1泊しかしてないけどすごく寂しい。
出発するときに集合写真を撮った。
畑に出ている人が多かったからみんな揃ってとはいかなかったけど。
出発するタイミングで、庭の木からマンゴーを取ってくれて、部屋から村では貴重なはずのドーナツを持ってきてくれてお土産に渡してくれた。
涙が溢れた。
ヨフリーのバイクに乗るときに彼を少し疑ってしまった自分が恥ずかしかったし、絶対に裕福とは言えない家なのにドーナツまでくれる優しさがただただ嬉しかった。
そしてヨフリーたちと過ごした村を後にし、僕は絶対にいつかここに戻ってくると心に誓った。
今回の旅の話
僕はヨフリーが住む村に帰ってきた。
結婚してカオリと一緒に。
村のみんなは僕のことを覚えていてくれて歓迎してもらった。
今回は2泊3日の滞在。
いろんなところに一緒に行った。
一緒に登山したり、
ナマズ食べたり、
村の景勝地に行ったり。
いろいろ行ったけど、僕にとっては昔と変わらない田んぼから昇ってくる朝日が一番美しかった。
今回、ヨフリーとその家族と再会して感じたことがある。
「これで、旅が終われるな。」
世界一周していろんなところに行ったけど全てはここに繋がっていたのかもしれない。安心して何も思い残すことなく次のステージに行ける。
☝︎日本の友達にもらったTシャツを彼にあげました。笑
ありがとう。
ヨフリー、村のみんな。
バリに寄ってついに日本に帰ります。